名古屋一人暮らし奮闘記

名古屋で一人暮らしの♂。そんな男が頑張る日々をご覧ください。

私が転職を決意した日~転職活動から転職先決定までの流れ①~

京都で生まれて22年。生まれ育った京都を離れ、新社会人デビューをした場所は桃太郎の国でした。教育関係の仕事をしたくて入社し、3年で退職&転職。今回は私の転職のきっかけをお話します。


教育関係の会社に就職。
同期で入社したのは50数名。
同じ支社に配属になったのは7名。
同じ部所に配属になったのは3名。


私以外の人はどちらも女の子で、どちらも歳上。(浪人と院卒)最初に同期の飲み会をして、一緒に頑張ろうって感じにはなった。
ところがそれも数週間が過ぎるとそんな気になれなかった。


どこの会社もおそらく、営業はさけられないことだと思うが、なかなか厳しい部所だった。
毎日毎日、営業のロールプレイを上司とし、録音をして自分のトークを聴き、練習と違ったことをしたり、数字が取れなければ詰められる。
精神的にかなり追い込まれていく。


私は毎朝栄養ドリンクを飲み、鏡を見て、「よし、行くか」と自分に言い聞かせながら会社に向かっていました。(一年間だけ。)
彼女ら二人の営業成績はどちらも私より上で、順調かに見えた。


ところが、やはり彼女らも心はかなり病んでいたようである。


6月末、会社に一向に現れない院卒の子。
連絡しても繋がらない。何かあったのか。病気かと心配していたが、それ以上のことが起こっていた。
所長の方に病院から連絡がきたそうである。
出勤する際、マンションの階段から転倒し、頭を強打。ボーっ座り込んでいるところを住民の方が声をかけ病院に連絡。


そして、診断の結果、「記憶喪失」とのこと。


就職活動中の内定までの記憶しかないらしく、私たちのことを一切覚えていないらしい。
一度、御両親とともに会社に来たが、雰囲気がガラッと変わっており、目が虚ろであった。


『冗談だと思っていたけど、マジなんだ』と実感。
というわけで、一人が退職した。


9月中旬から、もう一人も会社をちょくちょく休むようになった。鬱病である。
病院に通いつめ、薬を飲んでいたがとうとう休職に。
1月に復帰したが、2週間でまた休み始め、結果退職することになった。
(あっさり)


他の部所に配属になった4人とはそこそこに交流があったが、もう、自分のことで精一杯。
他の4人も2年経った時には全員退職しており、3年目の時には、とうとう私一人になってしまった。

そして、私自身も2年目から3年目になる2月に転職することを決意する。