名古屋一人暮らし奮闘記

名古屋で一人暮らしの♂。そんな男が頑張る日々をご覧ください。

みなさんは檜皮職人を知っていますか?~祖父の偉大さを知るまで~

私の父方の祖父は大工であった。


祖父は作業場を持っていて瓦の下に敷く木の皮みたいなものを作っていた。
「一束3000円くらいかな」とニコニコしながら言っていたのは覚えている。相場はよくわからないが、山をいくつか持っている祖父は自分で木を切りたくさん作っていた。

祖父はとても器用である。当時は小学生でアニメ「ワンピース」のロロノア・ゾロが好きだったため、その影響で木刀を作ってもらった笑


だが、幼少の私から見て、祖父は農業したり作業場で瓦の下に敷くものを作ってるという認識しかなかった。


昨年、祖父が急に倒れて入院。退院したタイミングに私は祖父のもとへ訪れた。
バスで9時間、電車で30分、そしてさらにバスで30分かけて私は様子を見に行った。

年に一度は訪れていたが、久しぶりに見た祖父は一気に年老いているように見えた。
数年前までは、まだ仕事をしていたし、屋根に登って作業をしていたし、トラクターを使っては米作りもしていた。

それが、今は杖をついて歩いている。病気の影響もあるみたいだが、その変貌に私は驚きを隠せなかった。

ただ、流石、祖父である。
元気な頃に家の中を手を加えていたのだ。
玄関にはスロープを作り、家中に手すりをつけていた。
その頃には私も祖父が昔大工をしていたということは知っていたのであまり驚きはしなかったが、祖父が今住んでいる家と離れの家一棟。作業場も自分の手で作ったと聞いた時は大変驚いた。


両親と共に祖父宅を訪れることが多かったため、私と祖父母で一緒にいることはめったになかった。
その時に、祖父の昔話を聞いた。


祖父は昔、宮大工をしていた。

宮大工は、神社仏閣の建築や補修に携わる大工のことである。
歴史的建造物を取り扱うこともあり、知識はもちろん高度な技術も必要とするらしい。


そして、檜皮職人でもあった。

ヒノキから採取した檜皮を整形する職人のことである。
社寺の屋根の改修のために必要であり、檜皮を剥ぐのに熟練の技術がいるようだ。


だか、後継者がもうほとんどいないようで、県内にはもう動ける人は数人らしい。


私は祖父に聞いた。「もし、父が大工を継ぎたいと言ってきたらどうする?」

祖父は即答で答えた。「勧めない。」

そして、続けざまに

「今はお金にならない。」

立派な仕事ではあるが、かといってそれがお金になるかはまた別のようだ。
だか、祖父は全国・主に県内を中心とした檜皮職人であったことに誇りを感じている。

祖父が仕事を辞める最後まで受け持っていた神社に、以前父と行ったことがある。

あの腰の曲がった小さな身体で祖父はこんなにも大きな神社の屋根を改修していたのかと思うと、あらためて祖父の偉大さを知る。

数日後にとある神社の神主が来るとのこと。
去年は水害が多く、そのせいで神社の支柱が折れてだめになったらしい。
たまたま祖父が支柱に使える木を保管していたため、それを譲ることになっていたらしい。
「残しておいて良かった。」
と祖父は言った。

身体を壊し、以前のように自動車やトラクターを運転したり動き回ることはできなくなったが、別れ際に祖父と握手をした時、まだ祖父の手には職人の手が残っているように感じたのだった。