名古屋一人暮らし奮闘記

名古屋で一人暮らしの♂。そんな男が頑張る日々をご覧ください。

私が転職を決意した日~転職活動から転職先決定までの流れ②~

京都で生まれて22年。生まれ育った京都を離れ、新社会人デビューをした場所は桃太郎の国でした。教育関係の仕事をしたくて入社し、3年で退職&転職。今回は私の転職のきっかけをお話します。

私の就職した会社はあるグループ企業に属している。
キャリアアップ・人材発掘のためグループ間での移動が可能となっている。
そしてそれはある種イベントにもなっている。
そのためには、各事業所が提示しているテーマについてレポートやプレゼンをする必要がある。
応募期間は夏頃から10月頃にかけて。


2年目の時、私はある事業所に興味を持ち応募した。
内容を書くと特定されてしまうため詳しく書けないが、簡単にいうと『子どもを対象にしたある体験ツアー』の企画書を出した。
偶然仲の良い先輩の知人がそこの事業所にいたため、先輩を通してアドバイスもいただくことができた。


自信はあった。


毎年2月頃にグループ移動の話があるため、その日を待ちわびながら、動員も頑張った。
だが、グループ移動の発表日。私の名前はなかった。


そして、所長との面談。
企画書の評価が書いてある封筒をもらい、中身を見た。



評価は....



A判定だった。



一番良い評価だったらしい。


だが所長から『まだ、2年目だからね。続けて出していけば行けるよ』と。


だが、私にはどうも納得がいかなかった。


そして、仲介してもらった先輩からダメだったと連絡すると
『向こうの所長は是非来てほしいという話をしていたらしいよ。』
『グループ移動で名前がなかったから知人の方も不思議に思っていたらしいよ。』と。

さらには、他の仲の良い先輩が煙草の席で所長と色々話をしていた時に聞いたところ、
『支社の戦力を減らしたくないから、向こうが欲しいというのはあったけど突っぱねた』

本来なら移動になったところを所長の権限で揉み消したという。
何のためのグループ全体が行っているイベントなのかわからなくなり、所長への不信感も高まり、私は転職することを決意した。


余談だが....
転職先が決まり、所長との継続面談を行った時、「辞めます」と即行に言い切った。
所長も必死に止めにかかり、「以前、希望出していたところはどうだ?」とも言ってきた。

もう遅い。

私は熱が覚めきっていたから。