名古屋一人暮らし奮闘記

名古屋で一人暮らしの♂。そんな男が頑張る日々をご覧ください。

入社した3年は働けはウソ・ホント?~私の経験から語る3年間~

京都で生まれて22年。生まれ育った京都を離れ、新社会人デビューをした場所は桃太郎の国でした。教育関係の仕事をしたくて入社し、3年で退職&転職。今回は巷でよく言われる社会人3年についてのお話。

私自身3年働きましたが、転職ができるなら早い方がよいと思います。
大学を卒業した年が22歳。そこから3年だと25歳。
年齢的に若いといえど、普通なら新人から戦力の頭数として取られているような時期になります。

では、何故私は3年間働いたか。
●逃げ場所とお金がないこと。
●会社は嫌でも、そこで働く人達には魅力があったから。

※転職に関してはまたいずれ書きたいと思います。

京都を離れ、初めての一人暮らし。いつも家にいた家族がいない日々。
そして、薄給で転職活動するにも資金がないためすぐには活動ができない。
だから我慢するしかなかったし、初めて社会人として働き始め、「こんなものだろう」「頑張ればなんとかなる」という思いもありました。

おそらく人の縁にはすごく恵まれていたと思います。
同期とは特別交流もなく、話すこともなかったが、先輩社員や直属の上司とは仲良くさせてもらっていた。
自分より年齢が10以上離れていましたが、仕事終わりによく飲みに行くことや、休みの日に遊んだり飲んだりしていました。
そこで溜め込むことなく、皆で仕事の愚痴を言いまくったりしていたのも良いストレスの発散だったと思います。転職活動するときも気軽に相談したりもできました。

3年間同じ会社で働いて良かったと思うこと
①良い意味でも悪い意味でも耐性が身に付いたこと
②他の職業に行っても使えるテクニックを得たこと
③人生経験豊富な歳上の友達がたくさんできたこと


長時間労働、残業代なしなんて当たり前。
数字が取れなかったり、ミスしたときには全体の前で叱られることも当たり前。
とにかく色々な面から詰められ、追い込まれる。
目標という名のノルマ。
(ちなみに私は二度倒れました笑)
厳しい環境にいたので精神的な耐性がかなり身に付いてしまったと思います。


対面ではなく、電話越しでの営業と少し特殊な部分もありましたが、訪問販売をバリバリしていた先輩から営業をかけるために頭に入れておかなければいけないポイントなどを飲んでいる時にたくさん聞くことができました。
それは今の仕事にも役に立っていましたし、実際成績も残せました。


昔から何故か歳上の方と仲良くなる機会も多く、馴染むのも早かった。
自分の経験したことないことを聞くことができたり、面白い話もたくさん聞くことができる。
そして、社会人になると、週末に遊ぶような友達を地元以外で作るのは容易ではない。
地元の友人とはまた違った繋がりを持つのは良かったと今も思っています。


ただ、あくまで私はの話。
ダメなら辞めても良いと思う。特に自分自身の肉体的精神的に危機を感じたら、逃げるべきだと思います。
どうも日本人は逃げることは恥と感じる部分はあるかもしれないが、逃げることは許されるべきことだと思います。
最初の就職に、もし失敗に思ったら次への切り替えを。
何より自分のことを大切に。